陸前高田の「ジャムの妖精」をめざして〜「らら・ぱれっと」代表 岡本啓子さんインタビュー

 

 

(インタビュー会場にて岡本啓子さんとご一緒に。右が岡本さん。)

 

岩手県陸前高田市は、明治時代から米崎りんごが栽培されてきました。日照時間が年間1702時間と長いため甘みが強く、また海辺のため霜の降りる時期が遅いので、樹上で完熟させ、蜜がたっぷりの状態でりんごを収穫できます。

知る人ぞ知る米崎りんごは、古くからの固定客や近隣地域での消費が主で、震災前にはほとんど外部に知られることがありませんでした。

 

その米崎りんごを使ったジュース・ジャムを作り、全国に広めようとしている岡本啓子さんに、お話を伺いました。

 

―――

 

「震災前は何をしていたのですか?」

 

私は陸前高田市にうまれました。就学・就職で一度市をでますが、28歳の時に高田に戻り、以後は高田で暮らしています。事務の仕事をしながら子育てをしていました。

 

子どもたちが大学を卒業し、手が離れたとき、いつかはやりたいと思っていた銀粘土細工をはじめました。

銀粘土技能士の資格をとり、震災前も今も、数名の方に教えています。

 

他に彫金などもやってみたことがあります。彫金は強度があり細いデザインも丈夫に作れますが、思うように作れるようになるにはかなりの修業が必要です。銀粘土は彫金に比べ出来上がりがぽってりしていますが、なめらかな曲面や難しい模様を作りやすいのです。また彫金は火を使いますが、銀粘土は使いません。そのようなところも自分に合っているとわかり、以後、銀粘土の良さを極めようと決めました。

 

 

また、震災前から、銀粘土アクセサリーを地元の和雑貨のお店に作品を置かせていただいています。最初は値段の付け方もわかりませんでしたが、次第にオーダーメイドの注文も入るようになりました。オーダー品は、どんなに手間がかかっても、自分の納得のいくものを納品したいという気持ちが強く、何度も試作を繰り返しました。

 

「震災前の米崎りんごとの関わりを教えてください。」

 

子どものころから米崎りんごを食べ慣れていたので、りんごといえば米崎りんごが当たり前でした。

一度高田をでたときに、他の産地のりんごをはじめて食べ、米崎りんごがとても美味しいりんごであったことにはじめて気づきました。

 

高田に戻ってから、こんなに美味しいりんごをなぜ外に売り出さないのだろうと不思議に思っていました。

しかし私自身は、実家が農家なわけでもなく、何か商売をしているわけでもなかったので、自分でやるという発想は全くありませんでした。

 

米崎りんごは確かに美味しいのですが、産地としての生産量が少なく、大きな市場に継続的に出すには量が圧倒的に足りないとのことです。米崎りんごは明治時代から長く作られているので、各農家に固定客がついていて、その人達への供給が最優先となります。残ったぶんから何トンもの量を市場に出すことは難しかったのでしょう。

 

農家は高齢化し、担い手の多くが7080歳です。産地として規模を大きく拡大していくどころか、後継者問題などもあって震災前から担い手が減る一方でした。

 

「震災後、りんご事業をはじめたきっかけは?」

 

震災後、(一社)SAVE TAKATAに電話番・庶務として入りました。

日本中から高田とは縁もゆかりもない人たちがたくさんやってきて、一生懸命高田のために事業をしていました。その中で、私も高田のためになにかやりたいと思うようになりました。

SAVE TAKATAの佐々木代表が、高田のためになるのなら何をやってもよいと言っていたので、震災後手付かずだったりんごに着目しました。

浜のほう(海産物)は、外から人が入ってきて外向けに売り出していましたが、りんごは手付かずでした。りんご農家はもともと高齢化していた上、震災後に農家をやめる方も増え、このままでは米崎りんごが食べられなくなるのではという危機感がありました。

米崎りんごの美味しさをよく知っている私が、りんごを世に広めたいと思いました。

りんごを外向きに売って、りんご農家の収入を増やす手助けをしたいと考えたのです。

そうすれば後継者や新規就農者が出るかもしれない、という期待もありました。

 

佐々木代表が、りんご事業を取り上げてくださり、予算が付きました。私は地元民なので、りんごのことにも詳しいし、地域のコネクションもあるので、地元民ならではの事業ができるのではないかと思ったようです。

りんごはとても美味しいので、パッケージさえ綺麗にすればインターネットで売れるだろうと、軽い気持ちではじめました。

 

「米崎りんご製品のこだわりポイントを教えてください」

 

米崎りんごを一年中食べて欲しいと考え、りんごの加工品を作ろうと思いました。

りんごは基本生で食べるものなので、時期がすぎれば終わりですが、加工品であれば一年中楽しんでいただけるし、加工品が美味しければ、もととなる生のりんごにも関心を持っていただけると思ったからです。

 

ですから、加工品であっても、米崎りんごの美味しさが伝わることを一番大事にしたいと思いました。素材のりんごは手摘みのものだけを使います。ジュースは濃縮還元しない、しぼったままのストレートジュースなので味に自信があります。ジャムはりんごの味と歯ごたえを残すことを大事にし、砂糖の量を減らしました。このため最初に作ったジャムは、賞味期限の短いものとなりました。

また、手描きのレシピもつくり、美味しさが伝わる工夫をしました。

 

「ジュース・ジャムのラベルはお客様からとても評判が良く、私も大好きです。こだわりのラベルかと思いますが、誕生秘話がありますか?

 

 

デザインにはこだわりました。

自分が買い物をする立場のときに、デザインにカントリー系と超モダンの両極端しかないのが不満でした。カントリー系はあたたかみがあるがおしゃれでなく、超モダンはモダンすぎて近寄れない。その中間がほしいと思いました。

 

デザインのコンセプトは、「おしゃれであたたかみのあるもの。ギフトになり、女性が買いたくなるもの」。

ギフトにしたくなるような洗練されたデザインで、かつ田舎の良さも活かし温かみもある、そんなパッケージにしたいと考えました。

 

ちょうど「絆・デザイン魅力創造事業」という、東日本大震災による岩手県沿岸被災地域の事業者を、デザイン面で支援する復興推進事業に採択され、そのデザイナー選定の段階でしたが、しっくり来るものが見つかっていませんでした。

 

そんなとき、江刺のりんご祭りというイベントで、りんごをあしらったカレンダーに一目惚れしました。もう絶対にこの方に担当してもらいたいと、すぐにそのデザイナーの方に連絡をとっていただきました。先方も復興支援にぜひ協力したいということで、受けていただくことができました。

 

私は子どもが小さいころには、イラストを書いて同人誌に発表していました。いまでも創作活動はずっと続けていて、デザインにはこだわりがあります。デザイナーさんにイメージを伝えたところ、想像以上のデザインをしていただくことができました。彼女のデザインを、ラベルとパンフレットに使っています。

 

「起業されたきっかけは?」

 

SAVE TAKATAの方針として、りんご事業の継続をしない判断がでそうな気配を感じました。

組織で事業をしていれば当然ありうることではありますが、現実にそうなった場合、自分はどうするのか、真剣に考える機会となりました。

 

せっかくここまでやってきた事業をなくしてしまうのはもったいないと思いましたが、独立を考えたとき、今のりんご事業では自分の給料を稼ぎ出せていないこともわかっていました。

 

どうしようか悩み、先輩の起業家にもたくさん相談をしました。

 

決断するまでに半年かかりました。

 

起業の先輩方からのアドバイスは、「お金のことはなんとかなるから」「赤字になってはいないし、楽しいから続けている」など。

さらに主人からも、うじうじしているくらいならやったら、との後押しもあり、最終的にはやると決めました。

 

最終的には、やっぱりなくしてしまうのはもったいないと思いました。自分が創り出したものだから。

2年間事業としてやってきて、卸先、お客さん、応援して下さる方もついてきて、さあこれから、というときにやめてしまうのは本当にもったいないと思いました。

 

りんご事業をどうするのか組織に確認し、やめるとわかったとき、やめるならもらいたい、と言うことができました。発案者ということで、著作権、卸先など全て譲ってもらい、起業することが決まりました。

 

組織の中にいるときはトップの方向性で事業の方向が変わりましたが、今度は自分がトップとなるので、思い通りにやってみたいと思いました。

自分の考えがどこまで通用するのか、皆さんに受け入れられるのか、挑戦したいと思いました。

 

『らら・ぱれっと』という屋号は「らら」は愛の言葉、「ぱれっと」は米崎りんごはじめ地元産のおいしいものを、パレットに並ぶ絵の具のように並べようと名づけました。

 

 

「岡本さんの『らら・ぱれっと』がこれから向かう先は?」

 

まず、最初に作ったオリジナルジャムの復活を目指しています。

 

りんごの味と食感を残すため、砂糖は少なく、賞味期限がとても短いものです。

 

このオリジナルジャムは、ジャムの妖精と名高い、フランスのクリスティーヌ・フェルベールさんのジャムをイメージしています。アルザスの田舎の普通の食料品店から、世界に認められるジャムを発信しているのがすごいと思いました。

 

「オリジナルジャムはとても好評で、変わってしまったのを残念がるお客様も多くいらっしゃいました。復活が待ち遠しいです。その次は?」

 

オリジナリティの高い商品を作ることです。

いろいろな品種のジャムを、少量ずつ採れた分だけ作る。お母さんが子どもたちのために作るジャムのようなイメージです。

昨シーズン、ジェネバという少量生産のりんごを使った真っ赤なジャムを少しだけ作ったところ、値段が高いにも関わらず好評で、すぐに売り切れました。

 

「将来の夢は?」

 

今、リンゴの木をそだてています。りんごを育てるのははじめてですが、ベテランの農家さんに教えていただきながら頑張っています。

将来は、農園を自分で借りて、自分の工房で、自分がそだてたりんごを使ったジャムやコンポート、お菓子づくりをしたいです。

今日はこれがとれたからジャムにしました、よかったらどうぞ、という感じです。数量限定、多品種の商品を作りたいです。

 

私の農園は、私だけでなく、応援しくれる人やお客さんも一緒に作業をしたり、休みに遊びに来たりできる、みんなの農園にしたいです。

ぜひ、みなさんも遊びにいらしてくださいませ!

 

ーーー

 

インタビューを終えて

 

二時間ほどのインタビューでしたが、岡本さんのお話は途切れることなく続き、あっという間の時間でした。

 

岡本啓子さんは、イラストや銀粘土など、アーティストとしての活動をずっと続けてこられていて、自分の作りたいもの、世に出したいものををはっきりと持っている方と感じました。

 

震災をきっかけに、そのエネルギーが一気に米崎りんごに注がれました。

そして、こだわりの味・こだわりのラベルのりんごジャムが生まれたのです。

 

将来の夢もとてもリアルに描いていらっしゃるので、実現する日は近いと感じました。

 

筆者も応援していきます!

 

 

(文責:小堤明子 インタビューは2016 8月)

 

※2016年夏にインタビューさせていただいてから、記事公開までの間に、早くも、オリジナルジャムの復刻版「米崎りんご フルーツスプレッド」が発売されています。

 

詳しくはこちらをご覧ください→

http://takata-ouen.com/?pid=112693828

 

1